「努力すれば誰でもできる」が嫌いな理由。弱者代表の俺が、その言葉の『毒』を語る
2026.7.17

「努力すれば誰でもできる」
この言葉、俺は嫌いやねん。
いや、別に努力が嫌いなわけちゃうで? むしろ、変わりたい気持ちは人一倍あったし、今もそうや。
でも、この言葉を聞くたびに、胸の奥がザワつくというか、モヤっとするんよな。
なんでかって?
俺みたいな弱者にとって、この言葉は時に『毒』になるからや。
今回は、弱者代表の俺が、この言葉が嫌いな理由と、どう向き合えばええか、本音でぶっちゃけていくで。
「努力すれば誰でもできる」がしんどい、弱者の俺あるある
俺も昔は、この言葉を信じてた。
「頑張れば、きっと俺も変われるんや!」って。
でも、現実はどうやったか?
全然できひんかったんよ。
- スマホの無限スクロールが止められへん。
- ソシャゲのイベント、やめ時がわからん。
- ポルノ見て、気づけば朝。
- ショート動画、無限ループ。
「やるべきことはわかってる、でも動けない」
まさに、ドーパミンの奴隷やった。
そんな俺に、世間は言うねん。
「努力すれば誰でもできる」
「もっと頑張れ」
「やればできる」
……いや、それができたら苦労せえへんねん!
この言葉を聞くたびに、俺は余計に自分を責めてた。
「俺は努力もできひん、ダメな人間なんや」
「みんなはできるのに、なんで俺だけできひんのやろ?」
自己肯定感はダダ下がり。どんどん自分を嫌いになっていったんよ。
お前も、そうちゃうか?
昔の俺が「努力」で潰されそうになった話
俺の過去は、まさにドーパミン漬けの暗黒時代やった。
ゲーム、ポルノ、Twitter、ジャンクフード……。
「変わりたい」って気持ちは常にあったけど、具体的に何をどう努力すればええか、全くわからんかった。
例えば、筋トレ。
「努力すれば誰でもムキムキになれる!」って言うやん?
でも、俺はジムに行くことすらハードルが高すぎて、結局ベッドの上でスマホいじって終わりやった。
「筋トレは毎日やれ!」って言われても、一日坊主で終わる自分に絶望してた。
「努力」って言葉が、いつの間にか俺を追い詰める凶器になってたんよ。
周りのキラキラした成功者たちが「努力すれば誰でもできる!」って言うのを聞くたびに、
「ああ、俺はあいつらとは違う、底辺の人間なんや」って、どんどん殻に閉じこもっていったんや。
そんな俺が変わるきっかけになったのは、YouTubeでメンズコーチジョージを知ってからや。
ジョージさんは「完璧じゃなくていい」「カスみたいな一歩でいい」って言うてくれたんよ。
その言葉を聞いた時、俺の心にストンと落ちてきたもんがあった。
「努力」じゃなくて「一歩」でええんや、って。
「努力すれば誰でもできる」の『毒』の正体
なんでこの言葉が『毒』になるのか。
俺が気づいたのは、大きく分けて3つの理由があるからや。
1. 「努力」には「才能」や「環境」も絡む
「努力すれば誰でもできる」って言うけど、そもそも全員が同じスタートラインに立ってるわけちゃうやん?
- 生まれ持った才能。
- 育ってきた環境。
- 周りのサポート。
- 経済的な余裕。
これらが、努力のしやすさに大きく影響するんよ。
例えば、集中力が高いやつと、俺みたいにすぐ気が散るやつでは、同じ「1時間の勉強」でも質が全然違う。
「努力」って言葉一つで片付けられるほど、シンプルちゃうねん。
2. 「努力」の定義が人によって違いすぎる
「努力」って、具体的に何を指すんやろ?
- 毎日10時間勉強すること?
- 毎日ジムに通うこと?
- 毎日自炊すること?
人によって「努力」の基準がバラバラやん。
成功者が言う「努力」は、俺ら弱者から見たら「超人技」に見えることもしばしばや。
「俺もあんな風に努力せなあかんのか…」って思ったら、もうそこで心が折れてまうねん。
3. 「努力」を強要されることで、本来の「変わりたい」気持ちが潰される
一番の『毒』はこれやと俺は思う。
「努力しろ!」って言われ続けると、まるで「努力できない自分はダメな人間だ」ってレッテルを貼られてるみたいに感じるんよ。
本来、「変わりたい」って気持ちは、自分の内側から湧き出てくるもんやん?
でも、外から「努力」を強要されると、その気持ちが義務感に変わって、しんどくなってまう。
結果、反発したり、諦めたりして、結局何も変わらへん、ってことになりがちなんよ。
大事なのは「努力」じゃなくて、自分のペースで「小さな一歩」を積み重ねることなんや、って気づいたんよ。
「弱者でもええねん。弱者なりに今日6000歩歩いた、それで勝ちやろ」
そう思えるようになってから、俺は少しずつ変わっていったんや。
じゃあ俺らはどうすればええんや?「努力」じゃなくて「挑戦」に置き換えようや
「努力すれば誰でもできる」って言葉にモヤモヤする俺らが、どうすればええか。
俺は「努力」って言葉を「挑戦」って言葉に置き換えるようにしたんよ。
「努力」って聞くと、なんか完璧を求められる気がして、プレッシャーになるやん?
でも「挑戦」って聞くと、ちょっとワクワクするし、「失敗してもええか」って思えるんよ。
完璧な努力じゃなくて、カスみたいな一歩でええ
俺がドーパミンデトックスを始めた時も、最初は「頑張る」じゃなくて「ちょっとやめてみる」から始めたんよ。
- スマホを1時間触らんかったら勝ち。
- ポルノを1日見んかったら勝ち。
- ジャンクフードじゃなくて、鶏胸肉を一口でも食べたら勝ち。
こんなカスみたいな一歩でも、積み重ねていけば確実に変わっていくんよ。
筋トレも、最初はジムに行くのが無理やったから、**「とりあえず6000歩散歩」**から始めたんや。
それだけでも、気分は全然ちゃうかったで。
誰かと比べるんじゃなくて、昨日の自分と比べる
「努力すれば誰でもできる」って言葉は、どうしても他人との比較を生むんよ。
「あいつはできてるのに、なんで俺は…」って。
でも、俺らが比べるべきは、キラキラした成功者ちゃうねん。
比べるべきは、昨日の自分や。
- 昨日の俺より、今日ちょっとだけ歩けた。
- 昨日の俺より、今日ちょっとだけスマホ触る時間減った。
- 昨日の俺より、今日ちょっとだけ早く寝れた。
それでええねん。それで十分、昨日の自分に勝ってるんや。
弱者代表の俺から、お前へ
「努力すれば誰でもできる」って言葉に、もう縛られる必要はないで。
俺もまだ道半ばや。完璧ちゃうし、今でもドーパミンの誘惑に負けることもある。
でも、確実に変わってきてるんよ。
それは「努力」したから、っていうよりは、
「カスみたいな一歩」を「挑戦」として、毎日ちょっとずつ積み重ねてきたからやと思う。
お前も、完璧な「努力」なんてせんでええ。
まずは、自分の「できること」から、カスみたいな一歩を踏み出してみようや。
弱者代表の俺が言うんやから、間違いない。
一緒に、ちょっとずつでも、自分の人生取り戻していこうや!